まえたなのblog

主に観光関連,好きな本、自分の考えなどについて書きます

東北北陸旅行

 いろんな旅をする人がいる。その土地の食を求めて旅をする人。電車が好きで乗ることを目的とした旅をする人。御朱印集めのために自社仏閣を巡る旅をする人。美しい景色を求めて旅をする人。どこか訪れたことのない街や自然の雰囲気を味わうために旅をする人。その他にも数え切れないほどの旅の形がある。それこそ十人十色。
 僕はもともと宿泊を伴う旅行があまり好きではなくできるだけ日帰りできるように計画して旅行していた。理由はいろいろある。荷物が多いこと。日帰り旅行に比べ旅費が高いこと。しかし今では宿泊を伴う旅行の方が好きになった。それは日帰り旅行だとなかなか分からない街の雰囲気を知ることができるから。そして時間を気にせず見たいものを見ていたい所に気にせずいられる。清水寺平等院など有名な観光名所に行くのも楽しい。しかし最近は自由気ままに初めて訪れた街を歩いて気に入った風景を写真撮ることが旅行の楽しみとなっている。また数日宿泊することでその土地の生活を多少は体験することができる。そこで計画したのが約40日もの東北北陸の旅。20年間のほとんどを中国地方で暮らした僕からしたら接点が全くと言っていいほどない場所。そんな土地での暮らしは簡単な想像しかできない。例えば雪で大変そうとかとても寒そうだとか。そんなわけで全く文化も生活も違うであろう東北という場所、特に冬の東北にとても興味を持った。大学2年の春休みということもあり時間は大量にある。また今年貯めたお金も節約すれば40日旅行するくらいにはある。時間もお金もどちらもあることはなかなかない。そのためこの2月3月を利用して初めての長期旅行をすることを決めた。旅の1番の目的は東北を知るということ。
 そして今回の旅をするにあたり参考にした人がいる。松尾芭蕉だ。松尾芭蕉が旅をしたルートを少し参考にした。そのため旅のはじめに訪れる場所を白河の関にした。古来より東北の入り口とされてきた関所。東北旅行をするのに最も適したスタート地点だと思う。そしてゴールは滋賀県大垣。この長旅を通して今まで見たことのない様々な風景をカメラに収めていきたい。

伏見日本酒18種飲み比べ 伏見酒蔵小路

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 京阪中書島駅から徒歩9分程で行くことの出来る伏見酒蔵小路。下の写真が入口。

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  伏見と行ったらお酒の街。今年20歳になったので今まで飲めなかった日本酒を飲みに行くことに。中書島駅から龍馬通りを抜け歩くこと約10分。最伏見酒蔵小路というひとつのお店かと思ってたら中は複数のお店の集合してる場所だった。鉄板焼きにラーメンに焼き鳥。お酒と相性の良いものばかり。目的は日本酒飲み比べだったのでご飯は食べずにそのお店へ。そしたらとても人気なためか1時間半待ちらしく予約することに。まだ伏見月桂冠大倉記念館に行っていないので待ち時間の間に行くことに。そんな感じで時間を費やすこと約1時間。少し早めに席が空いたとの連絡がありようやく待ちに待った日本酒飲み比べ!

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  日本酒はこんな感じ!なんと18種類もの飲み比べができる。値段は2200円。お酒が強いわけではないので2人で18種類を分けて飲むことに。アルコールの度数は15度や16度のものなどなかなか強い。日本酒はそれぞれ特徴が違って確かに違いがあるなーって感じ。個人的には玉乃光酒造 玉乃光備前雄町純米大吟醸がお気に入り!

 1時間くらいゆっくり飲んでお店を後に。ずっと飲んでみたかった伏見のお酒を飲むことができ大満足!!どれもほんとに美味しかった。伏見の街の雰囲気も好きだしほんとにお気に入りの場所。また来たい。

 

 

 

この秋オススメ!京都洛北3選

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 京都の洛北。出町柳駅から叡山電車に乗り、めぐることのできる数多くの観光地。そんな中からいくつかお勧めの観光地を紹介していたい。

1瑠璃光院 

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1つ目は瑠璃光院。

アクセス 

出町柳駅→八瀬比叡口→徒歩。

 何と言っても紅葉の時期の特別拝観の時に訪れるのがオススメ。とても多くの観光客がいて拝観するにはまず整理券を受け取る。それに書いてある時間になったら指定の場所に行き全員で歩いていく。待ち時間は2時間や3時間になることも。そして拝観料2000円となかなかの金額。しかし一度は絶対に行くべき。また冬の雪景色や夏の新緑など春夏秋冬姿が変わり見所が満載。毎シーズン行くのもいいだろう。

2 大原三千院

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2つ目は大原三千院

アクセス

京都駅からバス大原行き→大原三千院

瑠璃光院からの場合

八瀬駅前バス停→大原

 瑠璃光院拝観後にバスで行くことができるため行くなら両方行くのがおすすめ!三千院も秋の紅葉の季節はとても美しい。それに加え国宝の阿弥陀三尊坐像は仏像好きにはほんとにたまらない!仏像以外の見所はなんといっても庭園。池泉回遊式庭園の有清園と客殿の池泉観賞式庭園の聚碧園の2つの庭園がある。

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行くところ行くところついカメラを構えたくなる場所ばかり。滞在しようと思えばいくらでも滞在できそうな場所。庭園といっしょに境内のお堂巡りも。

 また大原は野菜の産地であり、赤シソで野菜を漬け込むしば漬けのふるさと。お土産や食事の際には是非!

 全部見て回ると1時間以上かかるので時間にゆとりを持たせて行くのがおすすめ。 

3貴船神社

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3つ目は貴船神社

アクセス

 出町柳駅から叡山電車貴船口にて下車。貴船口駅のバス停からバスで貴船へ。そこからは徒歩。貴船口からは徒歩でも行ける。また鞍馬からの山越えでも行けるので時間がある方はこれもおすすめ!

 貴船神社は春夏秋冬いつ訪れてもその季節の魅力を堪能できる場所。夏の新緑のライトアップ、紅葉のライトアップ、雪の降る日のライトアップどれも幻想的でとても美しい。

 また川床料理は季節によって変化がある。夏の名物は流しそうめん。冬は牡丹鍋。毎シーズン訪れたくなる魅力がたくさん。

 貴船神社は鴨川の水源に位置し高龗神(たかおかみのかみ)と暗龗神(くらおかみのかみ)が祀られている。平安時代の頃より雨乞いや雨止の祈りが行われてきた。

 また中宮には縁結びの神である磐長姫命を祀られていて結社と呼ばれている。そのため恋愛成就を願う人々も訪れている。平安時代には和泉式部が復縁を祈りにきたともいわれている。

 本宮には水占みくじやお守りや御朱印などがあるので忘れずにチェック!

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 また中宮からさらに奥にある奥宮はとても神秘的な場所であるので忘れずに。

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 また貴船神社は藁人形の恐ろしい話も存在する。今ではすると犯罪になるためやってはいけないが、昔は丑の刻参りが行われ藁人形を打ち付けていたとか。

 以上の3つが洛北にある私のおすすめスポット3選である。この3つは1日で全て行くことも可能である。是非訪れてほしい!

 

 

 

 

 

徒歩だけで巡る京都の街

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 京都駅を出ると多くの人がバス停から各々が目的の場所へ向かっていく。京都旅行においてバスはとても便利であり必須と思っている人もいる。バスに乗らない人は京都駅から東福寺へ行き京阪電車に乗り換える人や宇治方面へ向かう。このようにほとんどの人が公共交通機関を利用し旅を始める。

 今回私が紹介したいのは公共交通機関を使わない京都旅行だ。そのため宇治や貴船、嵐山、金閣へはさすがに行くことはできない。

私がオススメするルート

京都駅→京都国立博物館三十三間堂清水寺→将軍塚

 京都駅より七條駅を目指して歩いていき京都国立博物館へ。徒歩で約20分。三十三間堂は博物館のすぐ近くなのでこの二つは合わせて観光したい。今している皇室の名宝展は今しか見れないのでとてもオススメである。私も即予約した。三十三間堂は千体の仏像があり自分に似ているものがあるらしい。今まで2回ほど行ったがまだ見つけられていないが。京都国立博物館三十三間堂を見終わったらちょうどお昼の時間だろう。清水寺へ向かう道中には飲食店がたくさんあるのでどこでも気になったところへ。

 1時間くらい歩くが京都の街の雰囲気を楽しめるので楽しいはず。これも徒歩の魅力の1つ。昼食後のおやつには清水寺へ行く間に八つ橋やみたらし団子がとても良い。

 清水寺を見終わった後は将軍塚へ。ここまでまた歩いて1時間。なかなか遠い。だいぶ厳しい道のりだが頑張って歩こう。やっとの思いでたどり着いた将軍塚からの眺めは絶景だ。京都市内を眺めることができる。道中に気になるカフェやお店によって夜景を眺めるのもとてもオススメ。

 帰りは徒歩だと1時間。徒歩での旅を貫くのなら来る時とはちがう夜の京都を満喫しながら歩いて帰ろう。疲れきっていて歩きたくないのならタクシーに乗り15分で帰ることができる。3人くらいでの旅でなら良いかも。

 以上が徒歩で巡る京都のオススメルートである。最後に時間があれば京都タワーもあり。

 最後までお読み下さりありがとうございます。

 

 

東北で暮らしたい

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 東北へとても行きたい。中国地方に住んでいる私からすると東北はとても遠く、行ったとしても年に1回程度。去年の夏に青森に行ったのを最後に行けいない。今回企画して来年の2月3月に1か月以上かけて行う旅では、山形、秋田、宮城、岩手、青森に新潟、富山、福井,の北陸も行く予定だ。予算は上限50万円。おそらく大学生活でもっとも壮大な旅になることだろう。

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 これが今考えている旅のルートだ。東北での出発の場所は新白河駅。そこからバスで白河の関へと向かう。古代より白河の関が東北の地への入り口であった。松尾芭蕉もこの地を訪れている。そのため東北旅行の出発地点に最もふさわしい場所だ。また今回のルートは松尾芭蕉の東北紀行を参考に行きは太平洋側を北上し帰りは日本海側を行き北陸から滋賀へと向かう。その道中には奥州平泉や山寺など芭蕉が訪れた場所をいくつか行く予定だ。

 そして今回の旅のテーマは「東北で暮らす」だ。観光地をいくのも勿論目的の一つだ。しかしそれ以上に東北というほとんど訪れておらず気候や文化、生活が違うであろう場所で暮らしてみたいという思いがある。ただ観光地を巡るのではなく、ここいいなと気に入った場所には連泊して街の雰囲気を存分に堪能したい。また移動もなるべく新幹線を使わない。銀河鉄道青い森鉄道なまはげ鉄道に乗るのが楽しみ。

 もうひとつのテーマは「奥州藤原氏ゆかりの地を行く」だ。平泉、金鶏山、毛通寺。そしてずっと行きたいと思っていた十三湊へ行く。十三湊は奥州藤原氏と関係のあった港であり大きな役割を果たしたのでないかということを本で読んでからずっと行きたい場所だ。今回ようやく訪れることができる。

 だいたいの行きたい場所は考えているがその日その日の気分で柔軟に計画を変更し最高の東北旅行にしたい。そして東北の美しい雪景色を存分に自分の目におさめたい。

 

エコツーリズムとは

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エコツーリズムの概要と課題

エコツーリズムとは
 観光旅行者が、自然観光資源について知識を有する者から案内または助言を受け、当該自然観光資源の保護に配慮しつつ当該自然観光資源と触れ合い、これに関する知識および
理解を深める活動のこと。環境問題への関心の高まりや観光による自然への悪影響などの問題から自然に配慮した観光を行うために推進された。
基本理念
エコツーリズムには下記の4つの基本理念が存在する。
・自然環境への配慮・観光振興への寄与・域振興への寄与・環境教育への活用
地域の取り組み状況とその地域

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環境省のサイト参照
活動例
秋田県藤里町白神山地において岳岱自然観察教育林や田苗代湿原,太良峡コースなどでおこなわれているガイドツアー
静岡県富士郡芝川町の富士山麓地域では、遊牧民キャンプ、富士山冒険学校、火山洞窟講座、熱気球教室、週末自然体験広場などの活動が行われている。
・鹿児島県熊毛郡上屋久町の屋久島地域では、森歩き、登山、沢登り、リバー・シーカヤック、ダイビングガイドなどの活動が行われている。
これらの活動により新たな観光客を呼びこむことに成功している。また就学旅行の際にも利用され教育活動にも貢献している。
課題
エコツーリズムには主に、認識に関する課題とエコツアー参加者の増加に向けた課題とエコツーリズムに取り組む地域や事業者の増加に向けた課題の3つがある。
認識に関する課題
ツアーの参加者が自然の中での体験をする点においては同じであってもその背景となる考え方が異なっていることが多い。またエコツーリズムに関する用語を旅行者だけでなく、場を提供する地域や観光業の人も十分に理解できていないことがある。これらを改善するためにも資源の状況やマーケット性などのモデルを示し認知を拡大させる必要がある。
エコツアーの参加者増加に向けた課題
それぞれの地域がエコツーリズムに積極的に取り込んで受け入れの準備を整えてもその状況をうまくマーケットに伝えることができていないことがある。また関連の事業者は、環境に配慮した高質なサービス内容を揃えたとしてもそのことをアピールする客観的な基準がないため、地域や観光業者などのエコツーリズムへの取り組みや販売を滞らされている。そのためエコツーリズムへの取り組みを表す基準を作り公開する必要性がある。またエコツーリズムに親しみやすいいイメージをつくり参加のしやすい環境づくりをしていく必要性がある。
エコツーリズムに取り組む地域や事業者の増加に向けた課題
豊かな自然があり、自然保護と活動に関する情報が集まりやすく観光客を増やしているところも多い。しかし反対に里地などでは身近に自然があるにもかかわらず、ノウハウ不足が原因により取り組みを行うことのできないところも多く存在している。そのため地域の状況に合わせたノウハウをまとめ公開し共有していくことが必要とされている。
以上がエコツーリズムの概要と抱える主な課題である。
参考文献
(1) 観光学キーワード 山下晋司 有輩閣双書 2011
(2) http://www.env.go.jp/nature/ecotourism/try-ecotourism/area/index.html

今様の歴史

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  今様の歴史
今様
平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて今様が流行した。しかし歴史の書物の中に初めて登場するのは一条天皇の時代である。もとは農民のなかで広まっていたが雅人親王、後の後白河院がこれに熱中し梁塵秘抄にまとめた。一説によると今様を歌いすぎて何度も喉をつぶしたとか。また農民以外の今様の主な担い手は、遊女や傀儡、白拍子であった。農民から貴族、天皇まで誰でも親しみ、歌うことのできるものだったが遊女や傀儡、白拍子等は今様に舞をつけ歌う今でいうプロのような存在であった。また今様は庶民からも人気があったためその内容からその当時の人々の生活や思いなどを垣間見ることができる。例えば、「鵜飼はいとほしや 万劫年経る亀殺し なた鵜の首を結ひ現世はかくてもありぬべし 後生わが身をいかにせん」という歌では、自らの生活のため亀などいきものを殺さなければならないことに対する罪の思いが込められている。現代の音楽とは形は違うが感情を歌にしている点においては現代のポプュラー音楽の歌詞と似ているてんでもある。
歴史的観点から見る今様
今様が歴史に与えた影響の一つとして後白河院の誕生がある。もともと皇位継承するとは思われておらず後白河天皇即位は皆を驚かせる出来事だった。雅人親王(後の後白河天皇)は非常に今様に興味を持ち、歌のうまい人がいるという話を聞くと身分を問わず屋敷に招き教えてもらっていた。そんなことから政治に興味がなく野心のない人だと思われていた。そんなこともあり近衛天皇崩御したのち鳥羽上皇は、雅人親王天皇にすれば操りやすく自分が実権を握れると考え即位させたと言われている。後白河天皇の誕生が朝廷内での争いの原因の一つとなり後の保元の乱へと続く。これらは後白河天皇が今様にあまりにも熱中しすぎた延長線上の結果ともいえることから意図せず「今様」は歴史に大きな影響を及ぼしたポプュラー音楽のひとつといえる。  
平安中期にみられる今様
 今様が最も流行したのは平安末期であるが平安時代中期に書かれた『紫式部日記』にも登場している。『紫式部日記』には次のように書かれている。「琴・笛・の音などにはたどたどしき若人たちの、読経あらそひ、今様歌どもも、所につけてはをかしかりけり」。この記述から平安中期にはすでに歌われ貴族階級の人たちにも認知されていたことが分かる。またこれより前の寛弘5年の5月22日の土御門殿での法華三十講結願の記事にも法要がおわった後、今様が歌われたとある。またこの時期から約2、30年後の後朱雀天皇の時代にも今様が歌われていた。『吉野吉水院楽書』という鎌倉時代の楽書には、「今様の殊にはやることは後朱雀天皇の御時より也」と書かれている。以上のことから今様が梁塵秘抄のまとめられる前から平安の世では流行していたことが分かる。
その後の今様 
 平安時代に流行した今様だが鎌倉時代には衰退の道をたどった。中には宮廷行事の一部として残ったが江戸時代の頃にはほとんど歌われなくなった。また兼好法師の書いた「徒然草」の中に梁塵秘抄についての記述が残されている。そこには、「歌の言葉にはしみじみと感動させられることが多い」と書かれている。しかし今様に関する記述はこれだけでありその後書かれることはなかった。このことから分かるように平安のポプュラー音楽として流行した今様は鎌倉以降には完全にブームがおわっていたことが分かる。
 その後数百年が過ぎ明治末から大正初めにかけて再び注目された。その原因は、歌詞集巻一断簡と巻二、口伝集巻一断簡が発見されたことであった。これは研究対象以外にも詩人や歌人にも大きな影響を与えた。また2007年に刊行された伊藤比呂美の長篇詩『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』にも影響がみられるなど様々なところに影響を及ぼしている。また大河ドラマ清盛でも取り上げられたことで再び注目された。今後もまた注目を集める可能性がある。
参考文献
(1) 梁塵秘抄 後白河院 植木朝子
(2) 平清盛をめぐる101の謎 川口素生 2011