まえたなのblog

主に観光関連,好きな本、自分の考えなどについて書きます

日本三代史跡 多賀城跡

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 仙台駅から電車で15分。国府多賀城駅下車から徒歩で約10分。この地も奥の細道の名所である。

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 多賀城跡がある。多賀城とは奈良時代に東北統治の拠点として作られた城。古来より政府は蝦夷との争いを続けていた。そのため何十年にもわたり軍を派遣して城柵を築いていた。奈良時代朝廷は蝦夷を治めるため蝦夷の族長であった伊治呰麻呂に冠位を与えられ東北統治を任せられた。しかし宝亀11年(780年)3月、伊治呰麻呂は反乱を起こす。陸奥按察使兼鎮守副将軍の紀広純等を殺害し多賀城を焼き払った。それにより政府と蝦夷の戦いは激化。その後何十年も続いていく。平安時代征夷大将軍坂上田村麻呂アテルイを倒し政府と蝦夷の戦いはおわる。しかしその後も反乱は続いていたともいわれる。これらについては国府多賀城駅から徒歩1分のところにある東北歴史博物館で詳しく知ることができる。縄文時代から現在に至るまでの東北の歴史資料や出土品が数多く展示されていた。縄文土器や祭りで使われていた衣装、吾妻鏡などの資料など色々展示されていた。

現在多賀城跡には多賀城碑が残っている。

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 これは恵美朝狩が多賀城を大規模修繕した際に記念として作られたもの。恵美朝狩とは恵美押勝藤原仲麻呂)の息子である。父が権力を握っている間参議に任じられていた。しかし押勝の反乱に従い戦ったが敗れ殺された。 

 また多賀城跡も松尾芭蕉が訪れた地である。多賀城碑は、歌枕の「壷碑」とも呼ばれており古来より多くの人が歌を読んでいた。私も歌が詠まればいいのだが何も思い浮かばなかった。

 多賀城跡には建物はほとんど何も残されておらず仙台観光の際訪れるのは私のように歴史好きな人がほとんどだろう。何もなくてもかつてはここが東北統治の拠点で政治が行われていたことや反乱が起きたことなど様々なことを想像しながら見るのもおもしろいかもしれない。この記事を読んで下さった方には歴史好き嫌い関係なく一度訪れてみてほしい。