赤壁の戦い1
曹操が袁紹を下した官渡の戦い。その後息子らを下し冀州を平定して残るは益州の劉章と江東の孫権、荊州の劉表のみ。幕僚の中には荊州を支配したのち腰を据えるべきという慎重派の意見と荊州を下したのちただちに南進すべきという主戦論。なににしろ荊州侵攻は絶対。曹操は天下統一を目前にして過去を思い返していた。洛陽にて袁紹らと志を語り合った日々。反董卓連合にて戦った日々。そこでの劉備、孫堅らとの出会い。その後の袁術、呂布、袁紹、劉備との戦いに明け暮れた日々。ここまで生き残ったのは自分と劉備、孫権。孫権は孫堅の息子なので実際は自分と劉備のみ。今は劉表のもとに落ち延びて客将となってる。そのもとには関羽、張飛、趙雲等の天下無双の武将がいまだにいる。なぜ自分でなく劉備のもとになのかいつも疑問に思う。関羽を家臣にしようとしたが最後には恩をかえし去っていった。いままで殺し切れなかった。機会はいくらでもあった。後悔しても遅い。今回の戦いで決着をつける。総仕上げだ。
「幕僚を集めよ。軍議だ」
「明後日、荊州へと進軍を開始する。先方は曹仁。副将に于禁。2万5千の兵を率い新野を攻略せよ」軍議はこれだおわった。ついに天下統一にむけ動き出した。焦る必要はない。こちらには歴戦の将軍と精鋭がそろっている。陸上戦では天下一という自負がある。負けるはずがない。
2日後曹仁が出陣した。2後にしたのは荊州で雨が続き進軍が困難なためである。乾く時間を考慮するとこの日が最適なのだ。思考もできている。欠けているとしたら郭嘉。北方征討の際病で亡くなった。惜しい命だ。あまりにも早い死。天命だったのだそう思うことにした。過去を思うのはこれで最後。天下統一後でよい。月明かりの下眠りについた。