曹操が袁紹を下した官渡の戦い。その後息子らを下し冀州を平定して残るは益州の劉章と江東の孫権、荊州の劉表のみ。幕僚の中には荊州を支配したのち腰を据えるべきという慎重派の意見と荊州を下したのちただちに南進すべきという主戦論。なににしろ荊州侵攻…
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