孝明天皇暗殺説
幕末といえば西郷どんや八重の桜、龍馬伝など大河ドラマで数多く取り上げられる人気の高い時代だ。
そんな幕末における大きな謎について書こうと思う。
孝明天皇暗殺説についてだ。
幕末において孝明天皇はとても重要な存在だった。
孝明天皇は、大の異国嫌いな攘夷派で討幕派ではなく公武合体派だ。
さらに長州を嫌っていた。よってもし仮に孝明天皇が急死することなく生きていれば長州藩が官軍となることは不可能だったのである。また徳川慶喜を信用していたので討幕自体起こらなかっただろう。
つまり幕府を倒そうとしていた薩摩藩、長州藩、討幕派の公家岩倉具視らからすると孝明天皇の存在が最も邪魔だったのだ。
その証拠に孝明天皇急死後、討幕への道は一気に開ける。
長州藩は朝敵ではなくなりさらに岩倉具視が討幕の密勅を手に入れた同日に徳川慶喜が大政奉還を行い幕府は消滅した。さらにその数か月後には王政復古の大号令のクーデターを実行した。どれもが孝明天皇があのタイミングで急死したから行えたことだ。
あまりにも討幕派の都合の良いタイミングでの急死だ。これは討幕派による暗殺と考えるのが妥当だと私は考える。
また死因も奇妙なのだ。天然痘が死因とされている。しかし孝明天皇が住んでいるのは宮中だ。宮中 に天然痘患者がいて感染したとは考えにくい。
このことも暗殺説が唱えられている一つの要因だ。
そして仮に暗殺されていたとしたら犯人は岩倉具視の可能性が高いといわれている。私もそう思う。
岩倉具視は討幕派の公家であり、討幕の密勅を手に入れるなどをした策略家である。
以上のことから孝明天皇暗殺説はとな唱えられている。しかも最近唱えられたわけでなく孝明天皇死後間もないころからうわさされていたらしい。それほど奇妙で討幕派にとって都合の良すぎるタイミングでの急死だったのだ。